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パウル・クレー「変奏曲(進行するモチーフ) (1927)」アートポスター(フレーム付き) / Paul Klee “Variations (Progressive Motif) (1927)” 絵画・名画[額入り]

販売価格 ¥23,200

税込

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✔ 美術館品質の木製フレームとマット付き
✔ 額装済み(すぐに飾れる状態でお届け)
✔ 3~5営業日以内に発送
7日間返金保証|安心してお選びいただけます


作家名:パウル・クレー / Paul Klee
作品名:変奏曲(進行するモチーフ) (1927)/Variations (Progressive Motif) (1927)
サイズ(額外寸): W400㎜ × H400㎜ × D23㎜
重量:約1.6kg
技法:ジクレー
用紙:水彩紙
フレーム:木製ブラウン・前面アクリル板
付属品:紐、箱(額装し、壁掛け用紐を取り付けた状態でお届けします)


※商品の色は撮影場所や照明の具合、ご利用のモニター環境により実際の商品と多少異なって見える場合がございます。


<商品詳細>
シンプルで上質な額装を施した、高品質のアートポスターです。
繊細な線と淡いブルー、ベージュの落ち着いた色彩が、空間に静かな知性と洗練された雰囲気をもたらします。
北欧インテリアやナチュラルモダン、ミニマルな空間とも相性がよく、書斎やリビングを穏やかに彩る一枚です。

<作品について>
《変奏曲(進行するモチーフ)》は、同じ形を少しずつ変化させながら展開する「変奏」という音楽的な発想を、絵画へと置き換えた作品です。

画面には無数の細い線が格子状に重ねられ、その中から家や建築物を思わせるモチーフがゆっくりと姿を現します。同じような線や形が繰り返されながらも、微妙な違いが積み重なることで、画面全体に静かなリズムと奥行きが生まれています。

クレーは音楽を深く愛した画家であり、絵画にも旋律やリズムのような構成を取り入れました。本作でも、線や形がまるで音符のように響き合い、一つのテーマが変化しながら展開していく様子が表現されています。緻密な構成の中に詩情が宿る、クレーらしい知性と繊細さを味わえる作品です。

<作家説明>


パウル・クレー / Paul Klee
1879年12月18日 – 1940年6月29日
国籍:ドイツ

20世紀のスイスの画家、美術理論家。ワシリー・カンディンスキーらとともに青騎士グループを結成し、前衛芸術運動に参加。ドイツの近代デザインの学校であるバウハウスでも教鞭をとった。初期は神経質でありながらダイナミックな線描で知られる。キュビスムやシュルレアリスム、抽象などの様々な要素を消化し、 チュニジア旅行を転機として、線と色彩の効果が十分に発揮された高い精神性を持つ独自の画風を確立。生涯に約9,400点もの膨大な作品を残し、その作風や技法は極めて多彩であり、リズミカルな線と豊かな色彩によって繊細で変化に富んだ画面を生みだした。子どものような無垢な視点、ドライなユーモラスさ、童話のような無邪気で愛らしいイメージの一方で深い精神性を見せている。またバイオリニストの経験から由来する音楽性が絵画作品に反映されている。
晩年は皮膚硬化症と闘いながら、スイス南部の町ロカルノ=ムラルトの療養所で没する1940年まで、旺盛な創作を続けた。
クレーの墓石には「この世では、ついに私は理解されない。なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから」という画家の言葉が刻まれてる。


略歴
1879年 スイスの首都・ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれる。
1898年 高校卒業と同時にドイツのミュンヘンに出たクレーは、同地の美術学校への入学をめざして、画家クニールの塾に通い始める。
1899年 美術学校への入学を果たすが、在学期間は短くベルンに戻り、半年間ものイタリア旅行に旅立つ。
1906年 リリーとの結婚を機にふたたびミュンヘンで暮らすようになる。
1907年 息子のフェリックスが誕生。
1911年 カンディンスキーらの「青騎士」グループと交流。
1914年 チュニジアへ旅行。このころから色彩に関心を持つようになり、これ以後は色で構成された抽象的が作品を描くようになる。
1916年 第一次大戦に徴兵される。親友のフランツ・マルクが戦死。
1920年 ワイマール、デッサウのバウハウスで教える。絵画教育を理論化することに貢献。
1928年 エジプト旅行で関心を持った形象の記号化を進める。
1931年 デュッセルドルフ美術学校へ移る。
1933年 ナチスに追われ、以後ベルンに定住。102点の作品がナチスに没収される。
1940年 6月29日、逝去。

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