ワシリー・カンディンスキー「小さな世界 I」アートポスター(フレーム付き) /Wassily Kandinsky “Kleine Welten I” 絵画・名画[額入り]
ワシリー・カンディンスキー「小さな世界 I」アートポスター(フレーム付き) /Wassily Kandinsky “Kleine Welten I” 絵画・名画[額入り]
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作家名:ワシリー・カンディンスキー / Wassily Kandinsky
作品名:小さな世界 I / Kleine Welten I
サイズ(額外寸): W424㎜ × H348㎜ × D23㎜
重量:約1.3kg
技法:ジクレー
用紙:水彩紙
フレーム:木製ブラウン・前面アクリル板
付属品:紐、箱(額装し、壁掛け用紐を取り付けた状態でお届けします)
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商品詳細
「小さな世界」1922年に制作されたは石版、木版、銅を用いた、計十二点の版画集の名前であり、本作はその内の木版で描かれた1点です。様々な色と形が互いに重なり合い、反復され、まるで音楽のように響き合っています。
作家説明
ワシリー・カンディンスキー / Wassily Kandinsky
1866年12月16日 - 1944年12月13日
国籍:ドイツ及びフランス
ロシア出身の画家。ピエト・モンドリアンやカジミール・マレーヴィチとともに純粋抽象絵画の理論の創始者として知られている。また、多くの著作を残しており、美術理論家としても著名である。代表的著作は抽象芸術を理論化した『芸術における精神的なもの』。
作風は、1910年代は激しい色と形による「ドラマティックな時代」、20年代は「コンポジション時代」から「円の時代」へと移行し、晩年は「具体芸術の時代」へと展開した。ミュンヘンのレンバッハ画廊、パリのポンピドゥ・センター、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に主なコレクションがある。抽象絵画の創始者として、20世紀美術にかけがえのない足跡を残した。
ナチス占領下のフランスでは、作品の展示を禁止されたり、彼について論じることを禁止されるなど、不遇のまま亡くなった。1967年に未亡人のニーナが、晩年の彼を支えた事でレジオンドヌール勲章を受け、完全に復権した。
略歴
1866年 ロシアモスクワ生まれ。に生まれる。
1886年 モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶ。
1896年 フランス印象派展で見た、モネの『積藁』が忘れられずミュンヘンで絵の勉強を始め、象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックに師事する。
1902年 ベルリンの分離派展に出品。
1904年 パリのサロン・ドートンヌにも出品。
1909年 「新芸術家協会」を設立。翌年水彩画による最初の抽象画を制作。新ミュンヘン美術家協会会長となる。この頃『芸術における精神的なもの』を執筆。
1910年 最初の抽象画を手掛け、絵画表現の歴史の新たな一歩を記している。代表作の『コンポジション』シリーズはこの最初のドイツ滞在期に制作された。
1911年 フランツ・マルクとともに脱退して「青騎士」(デア・ブラウエ・ライター)を結成した。
1912年 『ブラウエ・ライター(青騎士)』誌を刊行。
1914年 ロシアに帰り、革命後モスクワ大学教授となる。
1918年 モスクワに戻る。当時のソ連では前衛芸術はウラジーミル・レーニンによって「革命的」として認められており、カンディンスキーは政治委員などを務めた。しかし、ヨシフ・スターリンが台頭するにつれ前衛芸術が軽視されるようになる。
1921年 ロシア革命が起こり、社会的リアリズムが強制されるようになる。スターリンが共産党書記長に就く直前に再びモスクワを離れてドイツへと向かった。
1922年 バウハウスで教官を務める。
1933年 ナチス・ドイツによってバウハウス自体が閉鎖。パリに亡命。
1944年 パリ郊外に位置するヌイイ=シュル=セーヌで逝去。