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アンリ・マティス 「白い服を着た若い女、赤い背景」アートポスター(フレーム付き) / Henri Matisse “June fille en blanc, found rouge” 名画・絵画[額入り]

アンリ・マティス 「白い服を着た若い女、赤い背景」アートポスター(フレーム付き) / Henri Matisse “June fille en blanc, found rouge” 名画・絵画[額入り]

通常価格 ¥23,800
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作家名:アンリ・マティス  /  Henri Matisse
作品名:白い服を着た若い女、赤い背景 / June fille en blanc, found rouge
サイズ(額外寸): W348㎜ × H424㎜ × D23㎜
重量:約1.3kg
技法:ジクレー
用紙:水彩紙
フレーム:木製ブラック・前面アクリル板
付属品:紐、箱(額装し、壁掛け用紐を取り付けた状態でお届けします)
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商品詳細
マティスが1944年から46年にかけて描いた「白い服に身をまとったモデル」。チベットの白い虎の毛皮の裏打ちのあるコートを置いた椅子に腰掛けています。穏やかな表情で横たわる女性は、まるで人形のような可愛らしさ。画家とモデルの親密さが伝わってきて見る人をもリラックスさせる作品です。

作家説明

アンリ・マティス

アンリ・マティス / Henri Matisse

18691231 - 1954113

国籍:フランス

20世紀を代表するフランス人画家。 パブロ・ピカソ、マルセル・デュシャンと並んだ20世紀 3大アーティストの一人。「色彩の魔術師」といわれる。 純粋な色彩の効果を生涯にわたって探求し、それまでの伝統的な写実主義とは一線を画して、形態の単純化と大胆な変形、そして鮮やかな色彩によって絵画を表現した。マティスのいう「色彩」とは、自然に倣った色彩や、理論的な色彩学ではなく、感覚や直感に従っており、それは画家自身の感情を表すものであり、鑑賞者の心に働きかけるものだった。また色彩効果のために形はどんどん単純化されていき「面」となった。「色と形」を追求し、晩年になるとそれらを同時に考えることが出来る「切り絵」の作品制作へと発展した。


略歴

1869年 フランスのカトー=カンブレッジ、穀物商を営む裕福な家庭に生まれる。

1887年 パリに出て法律を学ぶ。

1890年 盲腸炎の療養中に絵画に興味を持つ。

1891年 画家になることを決意し、反対する父親を説得してパリに行く。アカデミー・ジュリアンに入学。

1892年 国立美術学校のモロー教室に入る。熱意を評価した教官ギュスターヴ・モローから特別に個人指導をうけた。

1897年 カイユボットコレクションの印象派作品に触れ、関心を寄せる。この頃ピサロと知り合う。

1898年 アメリー・パレイルと結婚。新婚旅行でロンドンに行き、ターナーの作品を見る。コルシカ島とトゥルーズにそれぞれ半年ほど滞在、明るい南仏の光に接し、画風が変化したといわれている。

1899年 ヴォラール画廊からセザンヌ「水浴する三人の女」、ゴッホの素描などを購入する。この頃セザンヌの影響を強く受ける。

1900年 経済的に苦しくドランとともに万国博覧会の装飾に参加する。ドライポイントによる最初の版画を手がける。

1905年 コリウール滞在中に試みた新印象主義的な表現を経て、同年のサロン・ドートンヌでは「フォーヴ」誕生の中心的役割を果たす。

1906年 ドゥルエ画廊にて2度目の個展を開催。ガートルード・スタイン宅でパブロ・ピカソと知り合う。

1917年 ニース滞在期以降は自然主義的な画風に戻るが、デッサンと色彩とを融合する「切り紙絵」へと到達。

1918年 ポール・ギョーム画廊にてピカソと2人展を行う。ニースに改めて部屋を借りる。

1920年 アンリエット・ダリカレルをモデルに作品を描く。「オダリスク」を主題とした作品が増える。

1947年 テリアードから『ジャズ』が刊行される。新設されたパリ国立近代美術館にマティスの重要な作品が収められる。

1950年 第25回ヴェネチア・ビエンナーレで大賞を受賞する。ヴァンスのロザリオ礼拝堂完成。

1951年 ロザリオ礼拝堂の献堂式が行われる。東京国立博物館、ニューヨーク近代美術館などで回顧展が開かれる。

1952年 切紙絵『ブルーヌード』シリーズに着手する。生地カトー・カンブレジにマティス美術館開館。

1954年 ニューヨークのユニオン教会のためステンドグラスの薔薇窓をデザインする。(これがマティスの最後の仕事となる。)

1954年 ニースにて84歳で逝去。

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