みなさんこんにちは。
今回はパウル・クレーの描いた一連の「天使」シリーズについてご紹介いたします。
クレーの「天使」シリーズは彼の晩年に描かれた重要な作品群です。
中でも「忘れっぽい天使」の連作は皮膚硬化症の発病以来、制作から遠ざかっていた晩年のクレーが、亡くなる前年となる1939年のある時期に集中的に描かれました。
制作するクレー-ベルンのアトリエにて-(1939年)
クレーはテーブルの上に紙を積み上げ、一気に描いては床に落としていったと伝えられています。
「天使」は目に見えない世界へとクレーを導く存在でした。
どことなくユーモアを含んだその造形や優しい微笑には、病の苦悶に対するクレーの機知が溢れているようにも見えます。
以下、代表的な作品について紹介していきます。
忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel, 1939)
この作品は、クレーの「天使」シリーズの中でも特に有名な一作です。
簡潔な線のみで描かれた天使の顔は、少し俯きながら微笑んでいるような、とぼけているような表情を浮かべています。
輪郭線は柔らかく、どこか頼りない印象ですが眺めていると静かに見守られているような、不思議な安心感があります。
クレーはこの天使を「忘れっぽい」と名付けましたが、それはどういった意図があるのでしょうか。
両手を合わせ、何か忘れてしまったことを照れている無邪気な可愛らしさと同時に、人知の及ばない存在であることを感じさせる不思議な崇高さも感じられる作品です。
「泣いている天使」(es weint, 1939)
天使らしき存在がこうべを垂れ、ポロポロと涙を流している様子が描かれています。
口を一文字に結びながら声は出さずシクシクと静かに。
眺めているとこちらまで悲しくなってしまいそうな切ない表情です。
クレーの描く天使には、どこかとぼけた表情が多いですが
「泣いている」という意味で1番人間味を感じられる天使のように思います。
天使はなぜ泣いていたのでしょうか。
それは病に苦しむクレーのためであり作品の描かれた当時の悲劇的な状況(第二次世界大戦)を悲しんでいたのかもしれません。
同時に現代を生きる私たちや、全ての悲しみや苦しみを抱えた人たちの代わりに泣いてくれているようにも見えてきます。
本作は観る人の心の深いところで、ある種の癒しや慰めを感じさせてくれる作品のようにも思います。
「鈴をつけた天使」(Schellen Engel, 1939)
大股で元気に歩く天使のお尻に、小さな鈴がちょこんと付いています。
とてもユーモラスでチャーミングな作品。
天使が行進するたびにお尻の鈴がリンリンと響く音が聞こえてきそうです。
キリスト教において鈴は、喜びの知らせや人々を導く象徴として用いられており羊飼いが羊を導くように、人々を導くために鈴を鳴らすことがあるそう。
天使は彼岸へとクレーを導く存在であることを考えると、やはりこの天使も鈴を鳴らしながらクレーを導いているのかもしれません。
ただその天使には悲壮な雰囲気はあまり無く「こっちの世界もそんなに悪いものではないよ」といった天使の(またはクレーの)メッセージが伝わってきそうな作品です。
「天使というよりむしろ鳥」(mehr Vogel als engel , 1939)
天使の翼が大きく、羽を休めている鳥のように見えたため
「天使というよりむしろ鳥」というタイトルが付けられているのかもしれません。
大きな羽を誇らしげに見せ、とぼけたような、
おすまししているような表情でポージングしています。
この天使はハイハイしている人間の赤ん坊のようにも見えるのは私だけでしょうか。
いずれにしても、ただ可愛いだけではない
なんとも言えない魅力を感じさせる作品です。
「星よりの使者」(Angel of the star, 1939)
クレーは亡くなる前年の1939年に数多くの天使の連作を生み出しています。
そのほとんどはシンプルなモノクロの線画ですが、こちらは色付けされたものの一つです。
クレーの描く天使は神々しい神秘的な天使ではなく、人間味に溢れています。
天使序頭上には星が輝いています。
どことなくとぼけた、優しい表情の天使は星からクレーを迎えにきた使者なのかもしれません。
「朝食を運ぶ天使 」(A Genius Serves a Small Breakfast)
原題は「A Genius Serves a Small Breakfast」。
直訳すると「天才が小さな朝食を提供する」となりますが、その造形や羽のようなものが描かれていることから、おそらくクレーのイメージする(感じている)天使なのかもしれません。
「忘れっぽい天使」の連作以前の1920年に制作された作品です。
朝の爽やかな空気の中、天使が朝食を運ぶ姿は、飾っているだけで不思議と温かな気持ちにしてくれます。
「朝食を運ぶ天使 」(A Genius Serves a Small Breakfast)
本作にはカラフルなものとワントーンの2パターンあり、こちらは赤茶色のワントーンで色付けされたものです。
こちらも素敵です。
「老いた音楽家が天使のふりをする 」(ein alter Musiker tut engelhaft)
背中を向けた男が悲しそうな、諦めたような、なんとも言えない表情でたたずんでいます。
「老いた音楽家」とは晩年のクレー自身の事を指しているのしょうか。
天使になれそうでなれない、なりきれない自身の姿。
クレー独自のユーモアとアイロニーが入り混じった作品です。
「幼稚園の天使 」(Engel im Kindergarten)
タイトルから、この天使が幼稚園にいる子供のように幼い天使であることがわかります。
表情もどこかあどけなく、可愛らしい。
挨拶しているようにも、誰かに呼びかけているようにも見えます。
この天使には羽がないことから、もしかすると幼稚園にいる人間の子供たちをクレーが天使に例えて描いた作品なのかもしれません。
「希望に満ちた天使」(Engel voller hoffnung)
こちらのタイトルは「希望に満ちた天使」ですが、あまり希望に満ちた溌剌とした天使には見えないのはなぜでしょうか。
どこを見ているのかわからない、とぼけた表情で、やる気で満ち溢れているというよりは
どこか戸惑っているようにも見えます。
それとも私たち人間にはそう見えているだけで、この天使自身は希望に満ち溢れているのかもしれません。
ここにもクレーのユーモアのセンスを感じてしまいます。
「ミス・エンジェル」(Miss engel)
「Miss」という敬称がついていくことから女性の天使であることがわかります。
大きな胸の膨らみも、いかにも、ミス・エンジェルといった印象です。
ただそこにはセクシーな印象はあまりなく、あくまで記号的にそして少しとぼけた雰囲気で描かれています。
女性の天使を描いた意図については色々考えられますが「天使シリーズ」が一気に描き上げられたことを考えると半無意識的に描かれた線の形状が先に来て、後から(または同時に)そのタイトルや意味が生まれていったのではないかと思えてきます。
「上へ」(Nach oben)
線のみで描かれた天使シリーズと同じ1939年に制作された作品です。
こちらは水彩のブルーのみで描かれています。
詳細は不明ですが「上へ」というタイトルから天を見上げている人、もしくは天に昇っていく天使を描いた作品のように見えます。
ただ...よく見るとこの表情は「老いた音楽家が天使のふりをする 」の音楽家と同じようにも見えてきます。
もしかするとこの人物も「上へ」(天へ)昇って行こうとするクレー自身のなのかもしれません。
「天使たちに護られて」(In Angels Care)
中心の足のある人に重なるように天使らしきシルエットが描かれています。
原題の“In Angels Care” から推測すると、おそらく守護天使のようなものに護られた人を描いたように見えます。
どことなく愛嬌とユーモラスな雰囲気も感じられる作品です。
赤青黒3色のペンで描かれています。
どこか不思議な雰囲気を持った一枚。
大きく見開かれた目、広げた翼、そして何かに驚いたような表情の天使が、幾何学的で抽象的なスタイルで描かれています。
ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンはこの絵に強く惹かれ、生涯手元に置き続けました。
彼はこの天使に、ただの芸術作品以上の意味を見出します。
それは、彼自身の歴史観を象徴する存在、「歴史の天使」でした。
ベンヤミンは、亡命中に執筆した『歴史の概念について』という短いテキストの中で、この天使の姿をこう語っています。
「クレーの絵には、Angelus Novus というタイトルの天使が描かれている。天使は何かをじっと見つめている。彼は目を見開き、口は開き、翼は広がっている。彼は過去に目を向けている。私たちが一連の出来事と呼ぶもののなかには、破壊と瓦礫の山が積み重なっている。天使はそこに災厄の連鎖を見ているのだ。しかし天使はとどまって死者を癒し、破壊されたものを修復したいと思っている。だが、天使の背には強い風が吹きつけ、それが彼の翼を閉じさせない。この風は天国から吹いてきていて、天使を未来へと押しやるのだ。背を向けたまま、天使は過去のほうへと引き寄せられる。この風、それが我々が進歩と呼んでいるものである。」(※要約・意訳)
「歴史の概念について」第九テーゼ(1940年)より抜粋
ベンヤミンが語るこの天使は、希望に満ちた存在ではありません。
それどころか、進歩という名のもとに積み重なる悲劇や破壊を、じっと見つめています。
本当は、壊れたものを修復し、傷ついた人々を救いたいと思っているのに、彼の意志とは関係なく、時代の力に背中を押されて、未来へと運ばれていく……。
この姿は、ベンヤミン自身の生きた時代――ナチズムの台頭、戦争、亡命、そして不安定な思想の行き場――を重ね合わせたものでもありました。
クレーが描いたこの天使は、必ずしもベンヤミンが語ったような意味を最初から持っていたわけではありません。
しかし、ベンヤミンはこの一枚の絵に、自分の哲学や時代への問いを託しました。
「私たちは、進歩の名のもとに何を見落としてきたのか」
「壊されたものに目を向けることが、本当の未来への責任ではないのか」
こうした問いを、《新しい天使》は今も私たちに静かに投げかけているように思えます。
まとめ
クレーの「天使」シリーズは、単なる宗教的な天使像ではなく、クレー自身の人生や精神状態を反映した象徴的な存在として描かれています。
それぞれのタイトルからそれがどんな天使なのか、ある程度のことは想像できますが、本当はクレーがどんなことを意図して描いたのかはわからないままです。
ベルンのアトリエにて(死の前年 1939年)
死を予感し、病と向き合いながらも、彼は天使というモチーフを通じて希望や純粋さ、人間の不完全さを独自のユーモアとアイロニーを持って表現しました。
現世での最後の一歩 / letzter Erdenschritt(1939)
これら天使の作品は、私たちに生と死の狭間で揺れる感情を喚起します。
時にはユーモアで私たちの笑いを誘い、また時には私たちの哀しみを慰謝し、言葉にならない深い共感や思索を促すものとなっています。