みなさんこんにちは。
本日は、20世紀を代表するフランスの画家 アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869–1954)の生涯とその作品についてご紹介します。
はじめに:色彩に導かれた画家
アンリ・マティスは、印象派以降の芸術の流れを大きく変えた人物の一人であり、鮮やかな色彩とシンプルな形によって、見る人の感情に直接語りかけるような作品を数多く残しました。
今回は、その生涯をたどりながら、時代ごとの代表作を紹介していきます。
マティスの作品を通して、色彩とともに歩んだ人生の軌跡を感じていただけたら幸いです。
【初期】写実からの出発(1890年代)
マティスが絵を描き始めたのは20代のころ。

法律を学んでいた彼は病気療養中に絵を描くことを始め、本格的に画家を志します。
最初は伝統的なアカデミズムに基づいた写実的な作品を制作していました。
読書する女性(1894)

法律事務所に勤めていた頃、盲腸の療養中に絵を始めたマティスが、まもなくパリに渡り描いた一枚。
まだ古典的なタッチですが、女性のしなやかな姿にすでにマティスらしいやさしさがにじみます。
食卓(1897)

こちらはマティスがまだアカデミックな画風を保っていた時期の代表作です。
写実的な筆致と陰影表現が特徴で、家庭的な食卓の様子を丁寧に描いています。
この作品では遠近法や質感描写が重視され、後年の大胆な色彩や平面構成とは対照的です。
しかし、日常の室内を主題にするという関心は、のちの《赤い部屋》(1908)へとつながっていきます。
《食卓》は、マティスが色彩と構成の自由を獲得する前の、静かな出発点とも言える作品です。
【フォーヴィスムの時代】色彩の革命(1900年代初期)
1905年、マティスは「フォーヴィスム(野獣派)」の中心的存在として名を馳せます。
写実ではなく、感情や印象を強烈な色彩で表現するこの新しいスタイルは、当時の美術界に衝撃を与えました。

マティスが「色彩の革命児」として世に知られるのは、1905年のサロン・ドートンヌ。
彼の作品はあまりに衝撃的で、「野獣の檻の中にいるようだ」と評されます。
これが“フォーヴィスム”のはじまりでした。
緑の筋のあるマティス夫人の肖像(1905)

顔の中央に緑のラインを大胆に引いたポートレート。
光と影を“色”で表現するという、当時としては異端な手法。感情が直接画面に刻まれています。
豪奢、静寂、逸楽(1904)

南仏の海辺でくつろぐ女性たちを、鮮やかな点描と構成で描いた作品。
スーラやシニャック、セザンヌやゴーギャンの影響が伺えます。
彼らの作品を吸収しつつ、マティス独自の装飾的構図がすでに見え始めています。
【赤の時代と室内の探求】1908~1917
赤い部屋(赤のハーモニー)(1908)
「空間をどう描くか」よりも、「空間をどう“感じる”か」に主眼を置いた名作。
赤で統一された部屋に、花瓶や果物、壁紙が溶け込むように構成されています。
遠近法や陰影を排し、赤一色で空間を構成する大胆な表現が話題となりました。
マティスにとって“色”は、現実の写しではなく、ここには「色彩そのものが主役となる絵画」というマティスの革新がはっきりと表れています。
音楽(1910)
ダンス(1910)
ロシアの富豪シュチンの依頼で描かれた大作。
単純化された人体と原色で構成された画面は、原始的な力強さと普遍性を感じさせます。
特に《ダンス》は、円を描くように手を取り合う人物たちが、まるで生命の躍動を象徴しているかのようです。
【ニース時代とエレガンスの追求】1917~1930年代
マティスは1917年以降、南仏ニースに移り住みます。
そこでの作品は、室内の静物や女性像が中心となり、光と装飾に満ちた穏やかな表現が特徴です。
光あふれる南仏の生活を背景に、女性・室内・模様をテーマに絵画の装飾性を追求します。
肘掛け椅子のオダリスク(1926)
絨毯、刺繍、エキゾチックな衣装──細部まで彩りに満ちたこの作品は、東洋趣味(オリエンタリズム)とエレガンスの融合。
マティスの理想とした「精神のやすらぎ」が、この一枚に凝縮されています。
金魚(1912)
円筒型のガラス水槽に浮かぶ金魚。その静けさと配置のバランスは、見る者を瞑想状態に誘います。
金魚は、マティスにとって「心を落ち着ける存在」でした。
【切り絵と晩年の芸術】1940年代~
大病により、筆を持つことが難しくなったマティスは、“ハサミで描く”という新たな技法に挑戦します。
色紙を切って貼る――これが“切り絵”の誕生です。
ジャズシリーズ(1947)
色と動きを自由で即興的に組み合わせて生み出された色鮮やかなシリーズ。
切り絵は即興性が高く、まるでマティスが自由に「色で踊っている」ような感覚を与えてくれます。
ブルーヌードⅣ(1952)
深い青で表された女性の身体。余白とのバランスが極めて洗練されており、彫刻的な存在感すら感じさせます。
マティスが到達した「シンプルな美」の頂点。
色紙を切り抜き、構成することで生まれた作品群は、シンプルながらも躍動感にあふれています。
「描くことは考えること」と語ったマティスの哲学が、最も抽象的で純粋な形で結実したとも言えるでしょう。
【ヴァンス礼拝堂】芸術と祈りの結晶(1947〜1951)

晩年、マティスは南仏ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂の内装を一手に引き受けました。
建築、ステンドグラス、壁画、司祭服にいたるまで、総合芸術としての空間をつくりあげました。

「私は色で祈る」と語ったマティス。
マティスにとって芸術とは、「人を癒し、希望を与える光」だったのです。
礼拝堂には、彼の信仰と芸術が静かに息づいています。
おわりに:色彩の中にある希望

アンリ・マティスの作品は、時代とともに変化しながらも、一貫して「見ることの喜び」「生きることの美しさ」を私たちに伝えてくれます。
大胆な色使いに心を奪われる瞬間。
静かな室内の光に癒される時間。
マティスの絵には、私たちが日々忘れがちな感覚がやさしく宿っています。
アンリ・マティス-ヴァンスのアトリエにて(1944)
「難解な芸術ではなく、誰もが見て安らげるものを描きたい」
彼のその願いは、今も変わらず多くの人の心を照らし続けています。