「永遠のソール・ライター展」Bunkamura ザ・ミュージアム

「永遠のソール・ライター展」Bunkamura ザ・ミュージアム

ようやく空気が少し秋めいてきた九月の半ば過ぎ。

仕事の打ち合わせが、予定より早く終わったので
帰り途中に、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催されている
「永遠のソール・ライター」展へ行ってきました。

三年前と、今年の初めにあった展覧会のアンコール開催だそうです。

何度か駅のポスターを見かけるたび、気になってはいたのですが
その時はなんとなく行かずじまい。今回が初めてでした。

 

ソール・ライター《地下鉄》 1958年
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

 

ソール・ライター《結婚式》 1948年
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

 

ソール・ライター《無題》 1950年代
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

 

本当に勝手な思い込みですが、駅のポスターから想像するに
ソール・ライターとは、なんとなく前衛的でアート志向の強い写真家なのでは?
と思い込んでいました。

 

ソール・ライター《レミィ》 1950年代
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

でも実際に作品を見てみると、
もちろんスタイリッシュで格好いい写真が多いのですが
ライターが切り取ったニューヨークの町並みや人々は、
どこか暖かく、親しみやすく、独自の視点の面白みや
ユーモアや発見、驚きであふれていました。

 

ソール・ライター《散歩》 1955年
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

 

ソール・ライター《野球》 1953年
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

同時に、本人はすごくシャイで控えめ。
でも写真を撮ることや表現することが大好きな感覚が作品から伝わってきます。

 

ソール・ライター《ボビーの肖像》 1948年
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

比べるのもおこがましいですが、自分が大学生の頃
ブラッサイやアジェ、アラーキーや森山大道などの作品に影響され、
一眼片手に街をうろうろし随分写真を撮っていたので
この感覚はすごく良く分かる気がしました。

ライターの作品は、当時僕が撮りたかったような
瞬間を捉えたいい写真ばかり…
自分もまた写真を撮りたくなりました。

 

ソール・ライター《キス》 1956年
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

ただ、僕が写真を撮っていた大学生の頃から
二十年ほど経ちましたが、肖像権やプライバシーなど
コンプライアンスにとても厳しい今の時代では
もはやこういった、街の人々の自然な(特別な)瞬間を捉えた
スナップ写真というものは、アートにしても、趣味にしても、記録写真としても
ほとんど成立しなくなってしまったのでは??
とふと思いました。

ソール・ライター《地下鉄》 1958年
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

スマホが普及し、多くの人がカメラを使用できるようになった現代では
ネットやSNSで動物や自撮り、映える食べ物の写真は多く見かけます。
でも今、街角でスナップ写真を撮ろうとすると、
盗撮している不審者と思われ、すぐに通報されてしまいそうな気すらします…

あまりにルールが厳しくしなりすぎた為
スナップ写真という一つの表現自体も消えかけてしまっているように思い
なんだかもったいないような、寂しいような、少し不安な気持ちになりました。

スナップだからこそ切り取れる、その時代の街の表情や瞬間が
たくさんあるように感じるので。

もちろん被写体への配慮は必要ですし
良い面もあれば悪い面もあるのでとても難しい問題ではありますが…

 

 

ソール・ライター《伯母エスター宅のデボラ》 1947年
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

 

ソール・ライター《デボラ》 1943年5月
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

 

ソール・ライター《ソームズ「Nova Magazine」のための撮影、アイルランド》 1960年代
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

 

ソール・ライター《ソームズ》 1950年代
出典:「永遠のソール・ライター」(小学館)

こちらは特別に心を許していた妹デボラと妻のソームズ。
彼女たちを写した写真は、被写体との距離のある街のスナップとはまた違い
特別な(ライターの眼差しの)温かみを感じます。
被写体と互いに通じ合っているからこそ撮れるパーソナルな写真ばかりで、
街のスナップと対照的なところもまたすごく良かったです。

 

写真だけではなくライターの残した言葉も、
彼だからこその説得力もあって、
心に刺さり勇気付けられるものばかり。

 

いくつか書籍「永遠のソール・ライター」から抜粋。


私に写真が与えてくれたことのひとつ、
それは、見ることの喜びだ。

神秘的なことは馴染み深い場所で起きる。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないのだ。

世界は他人への期待で満ちている。
期待を無視する勇気があれば、
面倒を楽しむことができる。

私はソームズと人生を分かち合った。
いろいろな問題もあったが、不幸に向き合うよりも、
人生を楽しもうとした。
それは、そんなに悪いことではなかったと思う。


写真のすばらしさだけではなく
言葉からもライターのヒューマニスティックな部分がすごく感じられます。

 

 

こちらは鑑賞後、特に印象に残った写真「伯母エスター宅のデボラ ,1947」を
クレヨンで描いたらくがき。(色は勝手な想像)

 

本当に思いがけず行けてよかった写真展でした。

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