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フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの跳ね橋」アートポスター(フレーム付き) / Vincent van Gogh “The Langlois Bridge at Arles”名画・絵画[額入り]
フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの跳ね橋」アートポスター(フレーム付き) / Vincent van Gogh “The Langlois Bridge at Arles”名画・絵画[額入り]
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※美術館品質の木製フレームとマットにて額装してお届けします。
※3~5営業日以内に発送。
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作家名:フィンセント・ファン・ゴッホ / Vincent van Gogh
作品名:アルルの跳ね橋 / The Langlois Bridge at Arles
サイズ(額外寸): W424㎜ × H348㎜ × D23㎜
重量:約1.6kg
技法:ジクレー
用紙:水彩紙
フレーム:木製ブラウン・前面アクリル板
付属品:紐、箱(額装し、壁掛け用紐を取り付けた状態でお届けします)
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※商品の色は撮影場所や照明の具合、ご利用のモニター環境により実際の商品と多少異なって見える場合がございます。
商品詳細
跳ね橋はアルル時代のゴッホを捉えた大切なモチーフの一つ。
ゴッホにはこの橋と、故郷オランダに数多い跳ね橋との思い出が重なったのだそうです。
眺めていると洗濯をしている南仏女性たちのおしゃべりや水音が、画面から響いてくるような、温かい印象の作品です。
作家説明

フィンセント・ファン・ゴッホ / Vincent van Gogh
1853年3月30日 〜 1890年7月29日
国籍:オランダ
オランダのポスト印象派の画家。敬虔な信仰心を抱きながらも、伝道師としての挫折を経て、当時流行していた自然主義を実践する画家となる。初期には農民の生活を主題にした作品を制作。主要作品の多くは1886年以降、フランス居住時代、特にアルル時代とサン=レミでの療養時代に制作された。現在世界的に高い人気を誇り、唯一無二ともいえる存在感を放つ画家だが、その人生は困難の連続だった。深い苦悩に満ちた日々の中で、彼は困難に立ち向かう強さ、そして癒しと安らぎを芸術に見出す。感情の率直な表現や大胆な色使いで知られる。ゴーギャン、セザンヌとならぶポスト印象派を代表する画家に位置づけられ、表現主義やフォーヴィスムなど、20世紀の芸術に大きな影響をあたえた。生涯、独身で過ごす。
略歴
1853年 牧師の父のもと、オランダ南部のズンデルトに生まれる。
1869年 美術商グーピル商会のデン・ハーグ支店で働き始める。
1873年 グーピル商会のロンドン支店に転勤、一時、パリ支店に勤務。
1875年 パリ支店に転勤。この頃から聖書に没頭するようになる。
1876年 グーピル商会を解雇され、オランダに戻る。その後、イギリスで教師を勤める。
1877年 牧師を目指すが1年で断念。
1878年 ベルギーの伝道師養成学校で学ぶが、資格を得られず。
1879年 ベルギー南部の炭鉱ボリナージュで、臨時説教師として伝導活動に従事。常軌を逸した伝導を理由に、伝導委員会から活動を止められる。
1880年 画家になることを決意。ベルギーのブリュッセルの美術学校に入学する。
1881年 両親のいたオランダのエッテンで素描を描く。デン・ハーグで、画家アントン・マウフェの教えを受ける。
1883年 オランダ北部のドレンテ地方に滞在した後、ヌエネンにいた両親の元に移る。
1884年 1885年まで1年間ヌエネンで農民や農民の生活を主題にした作品を描く。
1885年 父死去。初期の有名作品「しゃがいもを食べる人」制作。ベルギーのアントウェルペンに移る。
1886年 フランスのパリに移り、モンマルトルのテオのアパルトマンに同居する。
1888年 南フランスのアルルに移る。「黄色い家」を借り、画家仲間との共同生活を計画する。10月下旬、ゴーギャンとの共同生活が始まるが、2か月後、ゴーギャンと口論の末、自ら左耳を切り取る。アルルの病院に入院する。
1889年 入退院を繰り返した後、サン・ミレの療養院に入院。庭の風景をモチーフに絵画制作を続ける
1890年 アンテバンダン展に出品した作品が好評。パリ近郊のオーヴェールに移住。7月27日オーヴェールの麦畑から、胸部をピストルで撃った状態で下宿先に戻る。翌々日の29日テオに看取られ死去。享年37。
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