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フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの寝室(第2バージョン)」アートポスター(フレーム付き) / Vincent van Gogh “Bedroom in Arles 2nd version”名画・絵画[額入り]
フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルの寝室(第2バージョン)」アートポスター(フレーム付き) / Vincent van Gogh “Bedroom in Arles 2nd version”名画・絵画[額入り]
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※送料無料
※美術館品質の木製フレームとマットにて額装してお届けします。
※3~5営業日以内に発送。
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作家名:フィンセント・ファン・ゴッホ / Vincent van Gogh
作品名:アルルの寝室(第2バージョン) / Bedroom in Arles 2nd version
サイズ(額外寸): W424㎜ × H348㎜ × D23㎜
重量:約1.6kg
技法:ジクレー
用紙:水彩紙
フレーム:木製ブラウン・前面アクリル板
付属品:紐、箱(額装し、壁掛け用紐を取り付けた状態でお届けします)
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※商品の色は撮影場所や照明の具合、ご利用のモニター環境により実際の商品と多少異なって見える場合がございます。
商品詳細
「アルルの寝室」の第2バージョン(1889年)は、ゴッホがサン=レミの精神療養院で描いたものです。
オリジナルの第1バージョンが洪水によって一部損傷したため、ゴッホは自分の理想的な「安らぎの空間」を再現する目的で制作しました。第1バージョンの強烈な情熱から、第2バージョンでは「内なる静けさ」を求める気持ちが表現されています。
第2バージョンが描かれた1889年、ゴッホは精神的な危機を迎えていました。アルルでのゴーギャンとの決裂、耳切り事件を経て、彼は療養院で孤独と向き合っていたのです。
この絵は、そんな彼が「安らぎ」や「秩序」を自分自身に取り戻すための一種のセラピーとして描かれたとも考えられています。
色彩は第1バージョンより穏やかで柔らかなトーンになり、壁は淡いラベンダーがかった青、床も落ち着いた緑へと変化しています。コントラストが抑えられ、全体的に静謐さが増しています。
この色の変化は、ゴッホが療養院で精神的な安定を模索していたことと関係しているようです。
「この絵を見て、まるで夢の中で休んでいるかのような感覚になってほしい。」
— ゴッホの手紙より
この言葉からもわかるように、彼は単なる部屋の再現ではなく、心の内側の「理想の静けさ」をキャンバスに描き出そうとしたのかもしれません。
作家説明

フィンセント・ファン・ゴッホ / Vincent van Gogh
1853年3月30日 〜 1890年7月29日
国籍:オランダ
オランダのポスト印象派の画家。敬虔な信仰心を抱きながらも、伝道師としての挫折を経て、当時流行していた自然主義を実践する画家となる。初期には農民の生活を主題にした作品を制作。主要作品の多くは1886年以降、フランス居住時代、特にアルル時代とサン=レミでの療養時代に制作された。現在世界的に高い人気を誇り、唯一無二ともいえる存在感を放つ画家だが、その人生は困難の連続だった。深い苦悩に満ちた日々の中で、彼は困難に立ち向かう強さ、そして癒しと安らぎを芸術に見出す。感情の率直な表現や大胆な色使いで知られる。ゴーギャン、セザンヌとならぶポスト印象派を代表する画家に位置づけられ、表現主義やフォーヴィスムなど、20世紀の芸術に大きな影響をあたえた。生涯、独身で過ごす。
略歴
1853年 牧師の父のもと、オランダ南部のズンデルトに生まれる。
1869年 美術商グーピル商会のデン・ハーグ支店で働き始める。
1873年 グーピル商会のロンドン支店に転勤、一時、パリ支店に勤務。
1875年 パリ支店に転勤。この頃から聖書に没頭するようになる。
1876年 グーピル商会を解雇され、オランダに戻る。その後、イギリスで教師を勤める。
1877年 牧師を目指すが1年で断念。
1878年 ベルギーの伝道師養成学校で学ぶが、資格を得られず。
1879年 ベルギー南部の炭鉱ボリナージュで、臨時説教師として伝導活動に従事。常軌を逸した伝導を理由に、伝導委員会から活動を止められる。
1880年 画家になることを決意。ベルギーのブリュッセルの美術学校に入学する。
1881年 両親のいたオランダのエッテンで素描を描く。デン・ハーグで、画家アントン・マウフェの教えを受ける。
1883年 オランダ北部のドレンテ地方に滞在した後、ヌエネンにいた両親の元に移る。
1884年 1885年まで1年間ヌエネンで農民や農民の生活を主題にした作品を描く。
1885年 父死去。初期の有名作品「しゃがいもを食べる人」制作。ベルギーのアントウェルペンに移る。
1886年 フランスのパリに移り、モンマルトルのテオのアパルトマンに同居する。
1888年 南フランスのアルルに移る。「黄色い家」を借り、画家仲間との共同生活を計画する。10月下旬、ゴーギャンとの共同生活が始まるが、2か月後、ゴーギャンと口論の末、自ら左耳を切り取る。アルルの病院に入院する。
1889年 入退院を繰り返した後、サン・ミレの療養院に入院。庭の風景をモチーフに絵画制作を続ける
1890年 アンテバンダン展に出品した作品が好評。パリ近郊のオーヴェールに移住。7月27日オーヴェールの麦畑から、胸部をピストルで撃った状態で下宿先に戻る。翌々日の29日テオに看取られ死去。享年37。
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